———では、もう一つの、ご主人の建設会社の取締役についてのお話をお聞きしたいと思います。結婚されたあと、すぐに鳶職のお仕事を手伝われたんですか?
山下 当時は、もっと社員も少なく、会社としてはまだまだ未熟だったので、あんまり私を引き入れようという気持ちはなかったようで。
平成29年の建設業の社会保険未加入問題あたりから、国も本気で建設業を変えていこうという動きが出てきて、夫も「会社組織としてちゃんとしなきゃいけない」となって。そこで初めて「手を貸してほしい」と言われ、夫の会社に関わるようになったんです。
———では、当時は「鳶の仕事」に関する知識はほぼゼロだったんですか?
山下 ない。「高いところを登る人」としか知らなかった(笑)高いところで、ジャングルジムみたいなのをつくる人……という認識はあったけど、それ以外はまったくわからなかったです(笑)
建設業にはたくさんの業種があって、元請っていう階層的な仕組みがあって……など、そういうことすらほとんどわかってなかったですね。
———ご主人の会社とはいえ、まったくの未知の世界である「鳶職」。どのように見えましたか?
山下 すべてにおいてカルチャーショックでしたね。例えば、職人のモラルの低さとか、社長自身の経営の知識のなさや経営に対する意識とか、かなり衝撃でしたね。めちゃくちゃ喧嘩したこともあって、「ズルいことしないと利益出ない仕事なら、そんな事業やめてまえ!」と言ったこともあります。
実はこの会社は、夫が2代目なんです。父親が立ち上げた会社なんですが、設立3年後くらいに父親が亡くなって、一介の職人だった夫が継いだ形なんです。つまり、26歳のただの職人が、経営のことを学ぶ時間も機会もなく、目の前の仕事をひたすらこなしてきたという状況でした。だから、経営者として必要な法律の知識を学ぶとか、職人から経営者へ意識を変えていくというのが大変でしたね。
———すでに経営者である人の、経営者としての意識を育てる。苦労されたであろうことは、想像に難くありませんね。そんななか、鳶の会社にいきなり「取締役です。」と入っていくというのは……会社の方達とは、うまくやっていけましたか?
山下 実は、今でも夫の事務所に行くことはほぼないんです。だから、「取締役」といっても名ばかりで。やっていることといえば、夫の心配ごとや愚痴を聞くこと、人事戦略を一緒に考えること、「働き方改革としてこういうことをやったら?」とかアドバイスもします。あとは会社のアンバサダーですね(笑)
夫が「こういうふうなことをやっていきたいんだけど」と言ってきたことに対しどう思うかとか、「こういうやり方があるよ」「こういう補助金の制度があるよ」とか、そういったことをやっています。なので、主な仕事場は自宅。夕食後のリビングか、休日の車の中が多いですね。
———なるほど。では、事務所に行くことって本当にないんですね。
山下 まったくないです。今年は、社内で勉強会をしたり、職長会議でファシリテーションしたりしましたが、基本は裏方です。社員から見た私は、バーベキューとか、忘年会とか、イベントの時にひたすらお酒を注いだり、肉を焼いたりしてる人かも(笑)
———姐さんみたいな感じですね。
山下 唯一、「刑務所出所者の雇用」については私が積極的に進めたので、主に担当しています。あと、もう1名、服役経験のある社員が人事部長みたいな立ち位置で動いています。
———そうなんですね。服役されていた方とのやりとりというと、結構センシティブな内容を含むのではないかなと感じます。服役中の方が「出所されたあとどんな仕事に就くか」というところでスカウトする形なんでしょうか?
山下 実際に施設内に入り、受刑中の方に対して合同説明会みたいなことをするんです。
だいたい2人で行って、私が事業内容を簡単に説明して、社員が社会に出たらどんなことが大変か、自分はこういう経験をしてきた。でも、頑張ったらちゃんと社会復帰できるからね、みたいな話をします。その話を聞いて、弊社に入社を希望する人がいれば、後日改めて施設内で面接、内定を行ないます。
出所する時には、「仕事」と「住まい」と「居場所」を用意して、再犯防止と社会復帰を支援するというプロジェクトです。
———なかなか難しそうですね。想定通りにはいかないこともあるのではないでしょうか。
山下 弊社にはこのプロジェクトに参加する前から元受刑者の社員がいたので、出所者雇用に対する抵抗感はなかったんですよ。ただ、入社してすぐ辞める人が続いた時は、結構悩みましたね。他の社員らに負担をかけてしまうな……と。時間かけて教えたもののすぐに辞められると、さすがに疲弊してしまいます。「採用の方法を変えてくださいよ」という声があがったこともありました。
でも、普通に入社した若い人がみんな長く続いているのかっていったら、そうでもないことも多くて。刑務所上がりは再犯を起こすんじゃないかとか、心配する方も多いですけど、普通に入った方と刑務所からきた方と、そんなに違いますかっていう思いもあるんです。実際に長く働いて活躍している社員もたくさんいるんでね。
ただ、この活動を踏みとどまったことがあるのも事実です。でも、これはもう押し切ろうって。今は採用戦略の一環として、がんがん攻めてます。
———ご自身のやり方を、信じておられるんですね。そんな「社労士」ですが、雇われていたときと独立したあとって、世界が変わったなどありましたか?
山下 もともと、あまり組織に馴染めなかったタイプなんですけど……。独立して、夫の会社でいろいろと試せて、経験として積み上げてこられたのは雇われではできなかったことだと思います。
社労士って、相当な数いるじゃないですか。どこかの大企業の人事にいたとか、社労士事務所に十何年勤務してましたとか。そういう実績がないなかで、独立して稼いでいくってなかなか難しいんと思うんですよ。
今こうやって8年も継続できてるのは、やっぱり「中小企業の社長を夫に持つ社労士」であり、いろんなことをそこで試せているのが大きいと思います。正直、ブラック企業的なところから、まともな会社になってきたし、人も増えてきたし、売上も利益も上がってきている。「いい会社に成長していっている」という実感もあり、本当にありがたいです。