社会保険労務士

山下典子/オフィス✦ルシール

関わるすべての人が個性を活かし、人生の充実を叶えられる場所をつくる

———現在のお仕事をお聞かせ願えますか?

 

山下典子さん(以下、山下) 社会保険労務士事務所を運営しています。現在は私一人です。また、夫の建設会社の取締役もやっています。現在従業員29名の会社で、取締役兼人事部長兼広報担当ですね。二つの仕事のうちウェイトが大きいのは、8割ぐらいで社労士の仕事です。

 

———ありがとうございます。「社会保険労務士」というと学生さんにはちょっと馴染みがないと思うのですが、わかりやすく解説していただけますか?

 

山下 税理士さんが「お金」の専門家ならば、社労士は「人」の専門家といえます。従業員さんが気持ち良く働くための会社のルールとか、働きやすい環境をつくるための相談・アドバイスをする仕事ですね。

一般的に「社労士」といえば、入退社の手続きとか給与計算、労働基準法に沿った手続き———つまり人事部のような業務をアウトソーシングで請け負うイメージが強いと思います。もちろんそういう業務もしますけど、どちらかというと企業労務のサポートとか、最近では人材の採用定着支援を行なっています。

 

———ご経歴としては、大学や大学院などへ行ってすぐ社労士……ではないとお聞きしておりますが。

 

山下 短大を出て新卒で入った地元の設備会社を3ヵ月で辞め、その後最大手の消費者金融で営業を1年半。1度目の結婚をして、寿退社です。早々に家庭不和になったことをきっかけに「自立しないと」と思い、シンガーの仕事を始めました。その後、離婚。29歳で社労士の勉強をはじめ、5ヵ月で受かりました。

合格後、静岡の社労士事務所で2年弱、地元の税理士事務所で4年半ほど働き、35才で2度目の結婚。娘も生まれました。仕事と子育てとの両立に悩んだ末、独立開業し、今に至っています。

 

———なるほど、割と激しめですね。社労士って5ヵ月で受かるものなんですね?

 

山下 勉強期間はだいたい1年くらいと聞きますね。私は5ヵ月間で680時間ぐらい勉強した思い出があります。

 

———いろいろな職業がある中で、なぜ「社労士」を選ばれたのでしょう。

 

山下 あと半年で30歳になるという頃、「一人で生きていく術がないとマズいな」と猛烈な危機感を持ったんです。私は新卒も短期間で辞めてしまっていて、その後は、専業主婦とシンガーですから、昼間働くためのスキルがまったくない訳ですよ。

 

どうしようかな…ってなっているとき、ある人から「ずっと人前で表現する仕事をやっているんだから、それを活かせるセミナー講師とか向いてるんじゃないかな?」と言われ、「あ、それめっちゃかっこいいやん!」って(笑)

 

これからは“人の問題”が注目されるから、「社労士」になったらいいよ、と言われたんですね。それを言ってくれた方が、のちに勤める静岡の社労士事務所の二代目さんでした。

 

で、さっそく次の日資格の予備校へ。そのまま30万円ぐらいの申し込みをして、WEBの通信講座で勉強を始めました。

 

———思い立ったら吉日ですか、判断が早かったんですね。

 

山下 かなり切羽詰まってたんでしょうね(笑)

———では、もう一つの、ご主人の建設会社の取締役についてのお話をお聞きしたいと思います。結婚されたあと、すぐに鳶職のお仕事を手伝われたんですか?

 

山下 当時は、もっと社員も少なく、会社としてはまだまだ未熟だったので、あんまり私を引き入れようという気持ちはなかったようで。

 

平成29年の建設業の社会保険未加入問題あたりから、国も本気で建設業を変えていこうという動きが出てきて、夫も「会社組織としてちゃんとしなきゃいけない」となって。そこで初めて「手を貸してほしい」と言われ、夫の会社に関わるようになったんです。

 

———では、当時は「鳶の仕事」に関する知識はほぼゼロだったんですか?

 

山下 ない。「高いところを登る人」としか知らなかった(笑)高いところで、ジャングルジムみたいなのをつくる人……という認識はあったけど、それ以外はまったくわからなかったです(笑)

 

建設業にはたくさんの業種があって、元請っていう階層的な仕組みがあって……など、そういうことすらほとんどわかってなかったですね。

 

———ご主人の会社とはいえ、まったくの未知の世界である「鳶職」。どのように見えましたか?

 

山下 すべてにおいてカルチャーショックでしたね。例えば、職人のモラルの低さとか、社長自身の経営の知識のなさや経営に対する意識とか、かなり衝撃でしたね。めちゃくちゃ喧嘩したこともあって、「ズルいことしないと利益出ない仕事なら、そんな事業やめてまえ!」と言ったこともあります。

 

実はこの会社は、夫が2代目なんです。父親が立ち上げた会社なんですが、設立3年後くらいに父親が亡くなって、一介の職人だった夫が継いだ形なんです。つまり、26歳のただの職人が、経営のことを学ぶ時間も機会もなく、目の前の仕事をひたすらこなしてきたという状況でした。だから、経営者として必要な法律の知識を学ぶとか、職人から経営者へ意識を変えていくというのが大変でしたね。

 

———すでに経営者である人の、経営者としての意識を育てる。苦労されたであろうことは、想像に難くありませんね。そんななか、鳶の会社にいきなり「取締役です。」と入っていくというのは……会社の方達とは、うまくやっていけましたか?

 

山下 実は、今でも夫の事務所に行くことはほぼないんです。だから、「取締役」といっても名ばかりで。やっていることといえば、夫の心配ごとや愚痴を聞くこと、人事戦略を一緒に考えること、「働き方改革としてこういうことをやったら?」とかアドバイスもします。あとは会社のアンバサダーですね(笑)

 

夫が「こういうふうなことをやっていきたいんだけど」と言ってきたことに対しどう思うかとか、「こういうやり方があるよ」「こういう補助金の制度があるよ」とか、そういったことをやっています。なので、主な仕事場は自宅。夕食後のリビングか、休日の車の中が多いですね。

 

———なるほど。では、事務所に行くことって本当にないんですね。

 

山下 まったくないです。今年は、社内で勉強会をしたり、職長会議でファシリテーションしたりしましたが、基本は裏方です。社員から見た私は、バーベキューとか、忘年会とか、イベントの時にひたすらお酒を注いだり、肉を焼いたりしてる人かも(笑)

 

———姐さんみたいな感じですね。

 

山下 唯一、「刑務所出所者の雇用」については私が積極的に進めたので、主に担当しています。あと、もう1名、服役経験のある社員が人事部長みたいな立ち位置で動いています。

 

———そうなんですね。服役されていた方とのやりとりというと、結構センシティブな内容を含むのではないかなと感じます。服役中の方が「出所されたあとどんな仕事に就くか」というところでスカウトする形なんでしょうか?

 

山下 実際に施設内に入り、受刑中の方に対して合同説明会みたいなことをするんです。

だいたい2人で行って、私が事業内容を簡単に説明して、社員が社会に出たらどんなことが大変か、自分はこういう経験をしてきた。でも、頑張ったらちゃんと社会復帰できるからね、みたいな話をします。その話を聞いて、弊社に入社を希望する人がいれば、後日改めて施設内で面接、内定を行ないます。

 

出所する時には、「仕事」と「住まい」と「居場所」を用意して、再犯防止と社会復帰を支援するというプロジェクトです。

 

———なかなか難しそうですね。想定通りにはいかないこともあるのではないでしょうか。

 

山下 弊社にはこのプロジェクトに参加する前から元受刑者の社員がいたので、出所者雇用に対する抵抗感はなかったんですよ。ただ、入社してすぐ辞める人が続いた時は、結構悩みましたね。他の社員らに負担をかけてしまうな……と。時間かけて教えたもののすぐに辞められると、さすがに疲弊してしまいます。「採用の方法を変えてくださいよ」という声があがったこともありました。

 

でも、普通に入社した若い人がみんな長く続いているのかっていったら、そうでもないことも多くて。刑務所上がりは再犯を起こすんじゃないかとか、心配する方も多いですけど、普通に入った方と刑務所からきた方と、そんなに違いますかっていう思いもあるんです。実際に長く働いて活躍している社員もたくさんいるんでね。

 

ただ、この活動を踏みとどまったことがあるのも事実です。でも、これはもう押し切ろうって。今は採用戦略の一環として、がんがん攻めてます。

 

———ご自身のやり方を、信じておられるんですね。そんな「社労士」ですが、雇われていたときと独立したあとって、世界が変わったなどありましたか?

 

山下 もともと、あまり組織に馴染めなかったタイプなんですけど……。独立して、夫の会社でいろいろと試せて、経験として積み上げてこられたのは雇われではできなかったことだと思います。

 

社労士って、相当な数いるじゃないですか。どこかの大企業の人事にいたとか、社労士事務所に十何年勤務してましたとか。そういう実績がないなかで、独立して稼いでいくってなかなか難しいんと思うんですよ。

 

今こうやって8年も継続できてるのは、やっぱり「中小企業の社長を夫に持つ社労士」であり、いろんなことをそこで試せているのが大きいと思います。正直、ブラック企業的なところから、まともな会社になってきたし、人も増えてきたし、売上も利益も上がってきている。「いい会社に成長していっている」という実感もあり、本当にありがたいです。

———なるほど。そんな山下さんが思う「京都で働く魅力」「京都の魅力」ってなんでしょう。

 

山下 いい意味で閉鎖的というか。一回入ってしまえば、大事にしてくれる感じがします。あとは、古いものと新しいものとが共存してる感じもおもしろいなって思います。

 

これは、YEG(商工会議所青年部)入ってから特に感じるのですが、若輩の社労士が「100年企業」と関わることなんて普通ありえないと思うのですが、そういう老舗企業とも出会える、それが京都の魅力だと思います。かつ、その代表が同世代で新しいことに挑戦している姿を見てると刺激をいただけます。

 

———京都だと「まだ100年しか経ってませんし」なんてセリフが普通に出てきますものね。

 

山下 そう、本当すごい世界ですよね(笑)

 

———京都企業は、学生にどのようにPRしていけばいいと思いますか?

 

山下 最近、採用定着支援をやっているんですが、求人内容を書く際、特に意識するのは「待遇面では大企業に勝てないので、社風や社長のキャラクターをいかに売っていくか」ですね。

 

夫の会社でもそうなんですけど、劇的に会社が良くなったと思うし、社員が「本当にいい会社になった」と言ってくれるんですよ。

 

今までと何が違うのかということを考えたとき、やっぱり、社長のパーソナリティーというか、経営トップの考え方が社風に顕著に表れますね。
周りの素晴らしい会社見ても、やはり社長が素晴らしい。

 

企業側は待遇や条件をやみくも引き上げるのではなく、社長の考えや言葉を打ち出したほうがいいだろうし、学生側もそれに注目するのがいいのがいいと思います。

 

社長が未来志向なのか、現状維持を守ろうとするのか、自分の利益ばかり考えてないか、よく見せよう、大きく見せようとしてる人でないかとか。そういうところが、会社の形となって表れていると感じます。もし、私が学生ならそこを見ますね。

 

それを知るためには、インターンというのがフィットするかもしれないし、もっと言うと、“社長のカバン持ち”みたいなのがあるといいですよね。「密着社長」みたいな。

 

なかなか難しいかもしれないけど、自分の親とかひと回り上のお兄さんお姉さんとか、30代〜40代半ばぐらいの人と気軽にご飯食べたり、相談したり、慕ったり、可愛がられたりという関係性がつくれる機会があればいいかも。

 

———山下さんが「5年後に実現したいこと」を教えていただけますか?

 

山下 「おかみサロン」という構想があります。私と同じように、小規模企業、具体的には社員数30人ぐらいまでの会社の経営者、もしくは後継者の妻を集めて、経営者の妻に必要な教養や経営の周辺知識を勉強する場です。コミュニティの場という役割もあります。

つい先日、弊所の経営理念と行動指針をつくったんですが、5年後にはおかみサロンのメンバーは100人くらいになっている予定です。中身は、労務という実務的な知識はもちろんですが、社長の妻としてのあり方、経営者マインド、夫との接し方、立ち居振る舞い、ビジネス全般の教養をつけるとか、そういうものを一緒に学べるような企画です。そのメンバーの中でまた講師をつくっていって、「教える側」と「学ぶ側」でどんどん増えていくイメージです。

 

———最後に、まとめとして読者に伝えたいことはありますか。

 

山下 最近定めた経営理念というのが、「関わるすべての人が個性を活かし、人生の充実を叶えられる場所をつくる」というものです。その行動指針は、1つ目が「知的好奇心を刺激する」、2つ目が「半歩先の未来を実践し提案する」、3つ目が「職人であれ、商人であれ」。

 

絶対的な成功を求めるとか、絶対にこういう人にならなきゃいけないみたいなことではなくて、その人の個性を活かした場所づくりをしたい。それは、夫の会社に関してはもちろんそうですし、自分の関わる顧問先に対してもそうです。私自身が今後、人を雇うことを考えたときも、やっぱりそういう場所でありたいと思うし、「おかみサロン」もそういう場所でありたい。

 

それぞれが自分の個性や性格を認め、それを誇りに思えて、それを活かせる場所をつくりたいと思ってます。

 

———本日はありがとうございました。

 

詳細情報

オフィス ルシール/山下典子(NORIKO YAMSHITA)

サイト・店舗URL:https://officelucir.com/

TEL 075-366-4441

所在地 京都府京都市下京区仏光寺通烏丸東入上柳町331タカノハスクエア4F

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