長谷川 千佐子氏(以下、長谷川)
はい、今私自身、事業を3つしております。一つはいと半、着物の生地を使った製品開発をしております。実家が呉服屋でして、私で4代目となります。
父とは違う会社業態にはなりますが着物生地を使った製品開発を4年前からしております。
2つ目はタロット占い師をしております。
タロットを始めたのは21歳ですね。およそ19年前になります。鑑定を始めたのが10年ぐらいです。
もう1つはカウンセラーの資格を持っているので、その資格を生かした企業カウンセラー。またはB型支援の利用者さんのサポート、メンタルケアを事業としてやっております。
その3つを合わせたのが千昇堂という会社をこの3月16日に株式会社として登記しました。
ーーそうなると社会に出られた付近のお話をお聞かせ願えますか。
長谷川 私高校は北海道の高校にいっていまして、そこを1年で中退しています。その足で一回京都に帰ってきたんですけれども、17歳から東京に行ってました。
ここで歌を歌って色々な人と繋がりがあったんですけど、20歳で帰ってきまして、そのまま21歳で結婚しました。
社会的に仕事として長いのは一番はタロットですね。
ーー 色々されてる中で京都らしい仕事と言えば、今はいと半が一番京都らしいのかなと思います。
実際、うちの家系も廃業してますが呉服の家系でしてそれで見たり聞いたりでまあ通常の卸しなどをやっていたら今はなかなかやっていけないというところがあると思います。
でも着物文化を無くしたくないということで、いと半をやられているのかなというところはあるかなと思っています。
長谷川 そうですね。着物の生地を着る文化から使う文化に変えたいという思いでやってます。
なぜかと言いますと、経年劣化した着物生地をあ使った商品開発をしております。
生成り生地って呉服屋では嫌われる生地であんまり世の中には出ません。
経年劣化した生地で愛されにくい生地なんですけども、それをあえて素材を生かした製品開発をすれば、生成り生地自体が愛されるものになるのではないかなと思ってやっております。
ーー まず、その立場上4代目を継いだ時にアイデアがあったのか、取り敢えず着物で何か展開をしないといけないかなというスタートのところ教えていただけますか?
長谷川 父は長谷川染織という屋号で会社をしてましたが、5年前に辞めるといってきまして兄弟誰も継がないし衰退している業界なので閉じる前提でいたんですが、たまたま父の会社に行った時に反物がたくさん並んでたんですね。
この反物どうするの?
と聞いたら全て処分するし、恥ずかしいし見ないでほしいと言ったんです。
それが印象に残ってまして、棚に残っているのは白生地の焼けた反物つまり生成り生地がたくさんあって、せっかくならその生成り生地を製品化したいとそこから長谷川染織を継ごう!と、決めました。
たまたま伝統工芸士さんが知り合いにいたので日本で数人しか織れない「輪奈ビロード」という生地で素晴らしい素材とストーリー性を感じ、シルク100%を生かした生地で作ったという経緯がございます。
ーー着物の新しい転換なんですかね。もう伝統っていうのを守らないといけないというところと逆にも変えていかないといけない。本当に着物を反物でやって生きているところというのが本当にレアだと思うんです。
例えば、着物を実際に興味を持った人たちが飛び込んで、今後この着物文化というのはどうなっていくかなっていうところが結構私は気になります。
長谷川 着物文化としましては呉服屋であるので、やはり着ていただくというのが一番だと思っています。伝統を守る日本を守る。京都を守る。ということでは大事なことだと思います。ただ、興味を持っていただくということは、もっと日常に着物を持っていただきたい、身近に感じていただきたいということを我々呉服屋としてやり続けるミッションなのではないかなと思います。
ーー着物に憧れをもった学生達が、すぐに着物の仕事に結び付けられるのか、またそれを展開していけるのかというと、なかなかハードルは高い時代だと感じています。
長谷川 そうですね。確かに気軽な感じで作れたりとか、それぞれ伝統という技を身につけることになりますね。
ーー着物文化というのか後継者不足で悩んでいる印象もありますね。
長谷川 はい。やはり本当に後継ぎがいないですね。
丹後ちりめん、京都の丹後とかでは95%の機織やさん、生地屋さんが潰れているとお伺いしてます。着物を作る事よりも世の中の変化を感じて継ぐ人がいないという風に聞いております。
ーーなので続いてほしい。つまり、後継者を探している。しかし、好条件でお金の面であったり、時間的なものであったり、というところが非常に難しい文化ではあるのかなと感じます。
そして職人ということもあるので、やはり修行という期間があるのでその部分でなかなか逆に言えば後継者を探しているけれども、なかなか次の人を探そうにも探せないという部分もあるのかなと思います。
なので、着物文化というのは続いて欲しいなとは思っているけれども、その現状がなかなか難しいというところが今の現状なんでしょうね。
長谷川 そうですね。何に展開したらいいのか。
きっと悩んでるんではないかと思います。伝統を繋げるってやっぱり守る、守るのと繋げる真逆だと思ってます。
守るものって保守的で、繋げるって何かを提案しないといけないのでその部分がもう一度見直す時なのかなと呉服に関係するものとして思います。
ーーそうですね。今後はそういう単純に着物というわけではなくて、着物を使った何かの展開をしていかないといけないでしょうし、またはインバウンド向けにじゃあどうしたらなど。インバウンドとかにもアピールしていかないといけないでしょうし、ちょうどこの10年、20年は過渡期にあるのかなと感じます。
少し話は変わりますが、そういった時代の流れの中、昨年や一昨年でしょうか。近畿大学とのゼミと色々な取り組みされていたと伺っております。
いと半のビジネスを学生と一緒に取り組んだという内容であってますでしょうか?
長谷川 そうです。商工会議所青年部のビジネスプランコンテストに出させていただいて、その時に京都信用金庫さんから特別賞という賞をいただきました。
商品のエビデンスが欲しいという思いがずっとありました。エビデンスとなると産学連携と提携したらどうかとお話を頂き、近畿大学とおつなぎいただきまして、そこからのご縁で近畿大学の滝本ゼミにて3回生と1年半かけて製品を開発しました。
エビデンスが欲しくて入ったんですが、滝本先生はいと半は、ブランディングやマーケティングの力を上げた方がいいとお言葉をいただいたので、エビデンスや数値などをあえて出さずにブランド力を上げるように、1年半かけてブランディングに取り組んでまいりました。